神様は私たちの弱さを強さに変えてくださる
1. 私たちの弱さは不利ではなくになる
「「私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。2私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。3私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。4彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。5このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。」(2コリント12:1~5新改訳)
2. 私たちの弱さは、自己をするのに役立つ
「たとえ私が誇りたいと思ったとしても、愚か者とはならないでしょう。本当のことを語るからです。しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。7その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。」 (2コリント12:6~7 新改訳)
3. 自分の弱さ故に、私たちはに頼り続けることができる
「この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
9しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」 (2コリント12:8~10新改訳)